第6章 中国第5日目 昆明 (54/67)

中国庶民の世界へ

 
例によって朝、訪中団の人にベッドから起こしてもらいます。初めに私の起床をお願いしていたのは、同行した市の職員さんでした。この方の対応が特に悪かったわけではなく、ごく普通にベッドから起こしてもらったのですが、ただし、こっちから電話で「すみません、起こしに来てください」といわねばなりませんでした。

 ところが、中国滞在3日目から別の方に代わり、いつの間にか私が電話をしなくとも、向こうのほうから部屋のノックをして頂くことになりました。朝、「もうそろそろいいだろうか……」と私には15分だけ余分なものをする関係で、時間がありません。できるだけ早く起きたいのですが、そのことを相手に伝えるのはやはり心苦しいものです。そのことが分かる方には分かるものです。障害者には細かな配慮は本当にうれしいものです。

 今日は皆さんは石林というところに観光旅行なのですが、ここは車イスの私には絶対に無理なところだと聞いていました。なにしろ人1人が横向きにならないと通れない場所がたくさんあるのだそうです。おまけに段差もあるようです。行ったのはいいが、バスの中で待機というのは面白くありません。コース設定の段階で車イスの私が参加することは想定していなかったでしょうし、たとえそのことが分かっていたにせよ、段差、障害物のないフラットな(平坦)観光地というのは、中国にはあまりないように思います。そういう所ばっかりを特に私のために設定して頂くというのも面白くないでしょう。

 私もまた母の体力を考え、車イスのことを考え合わせた結果、昆明での行動はやはり皆さんと別行動の方がお互い負担がなくていいだろうと思ったのです。このことはお互いのためであったと思っています。どちらかがどちらかの負担になる関係というも余り好ましくありません。

 また私の性格として、中国の珍しいきれいな観光地を見て回るより、庶民の生活に触れてみたいという気持ちもありました。いわば化粧をした中国もいいけれど、素顔の中国も見たかったのです。そんな複数の理由で母と私は訪中団の一行と別行動になったのです。

  訪中団の一行は早々とホテルの玄関に集合し、あたふたと出かけていきました。私と母はゆっくりと朝食を楽しみました。またチャイナドレスを見ながらコーヒーを飲んだのかと聞かれれば、「ほかに見るものがなかった」とお答えしておきます。

 売店のお嬢さん達には前日に部屋の番号を教え、電話をしてくれるように伝えておきましたので、部屋に戻ることにしました。約束の時間は午前9時です。ところが、9時を過ぎても電話がありません。昨晩の電子手帳のことが頭によぎりました。もしかして、あの2人が電子手帳を…だから、ばつが悪くなって……。「いや、そんなことはない、人を信じよう!」とまた思い直しました。私は朝から試されているようなものでした。

 9時10分ころ、日本語の話せるお嬢さんから電話があり、今1階にいますということです。母と2人で急いで1階に降りていきました。昨日のお嬢さん達は売店の制服というか黒のスーツでしたが、今日は2人ともなかなかおしゃれな格好をしています。久々の休日を楽しむつもりなのでしょうか。

 まずどこに行くか決めることにします。2人は地下の売店に私と母を誘い、そこで例のプーアール茶を出してくれ、本日のスケジュールを決めました。私の希望は中国の庶民の生活に触れたいということで、一方母は何か安いものを買いたいということでしたので、昨日デパートに行っていましたし、それならスーパーマーケットのようなところに行こうということになりました。

 そのとき、お昼ご飯の話になり「何が食べたい?」と聞きますと、日本語が話せるお嬢さんは「日本食を食べたことがないので、日本食!」とうれしそうに言いましたので、お昼ご飯は日本食ということに決まりました。母もまた「御寿司が食べたい」ということでしたから、意見が一致しました。午前中はどこに行こうか話し合った結果、ホテルの近くの公園に行くことにし、昼食の後スーパーマーケットに行くという全体の計画ができました。

 次に考えねばならなかったのはタクシーでの組み合わせです。4人が1度にタクシーに乗れませんから、2台に別れてということになります。1人のお嬢さんは英語はできましたが、日本語はできませんし、もう1人のお嬢さんはその逆でした。そんな訳で母と日本語の分かるお嬢さん、私と英語の分かるお嬢さんという2組に分かれてタクシーに乗ることにしましたが、タクシーから降りてもその組み合わせは続き、したがって私は半日、その英語の分かるお嬢さんに車イスを押してもらうことになりました。
 
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