第7章 帰国日・中国第6 日目 (63/67)

1度あることは2度あるか?

 
中国最後の日は朝5時半にモーニングコールです。しかし、団体行動ですから気も張っています。すぐに目が覚め、また一行の男性1人に起こしてもらい、歯を磨き、顔を洗い、例によっておつとめをして部屋を出ました。部屋の外には5泊6日の思い出と荷物を出しました。これは朝バスに積んで頂けるのだそうです。6時に朝食を食べました。

 朝食を取りながら、一昨日市内を案内してくれたこのホテルのお嬢さんにお礼の手紙を書いていますと、その本人がやって来ました。「今、あなたにラブレターを書いていますから後で渡します」と冗談を言い、母に再度部屋に忘れ物がないか確認に上がってもらいました。バスに乗って、書き終えたラブレターをそのお嬢さんに渡し、3日間宿泊したホテルの多くの従業員に見送られ、バスは昆明空港に向かいました。

 昆明空港で少し国内線に乗るまで時間がありましたので、私は行きの国内線でトラブッた機内での車イスの件をなんとか解決しようと頭をひねりました。結局あわてていて英語とも日本語ともジェスチャーとも分からないもので必死に伝えたらなんとかなったのですが、今度は先の経験があります。じっくり辞書を見て、英語で「機内の通路は狭いので、自分の席まで行くのは難しい。できれば入り口付近の席に座らせてほしい」という意味の単語を並べて手帳に書いて、これを見せればなんとかなるだろうというところまでできました。

 いや、そういうふうになると、私1人がビジネスクラスになり、私1人となるとお弁当が1人で食べられなくなり、食べられなくなると「あーーーんして」という事態が発生することは、もはや避けられないような情勢でした。私としてはできればこういう事態は避けたいと思っていたのですが、事態はそういう方向に傾きつつあったのです。日本からきてもらった添乗員さんの奮闘努力も空しく、結局車イスの件は、飛行機の乗務員と話し合うということになりました。これで「あーーーんして」という事態は、いよいよ避けられなくなってきました。

 例によって車イスの私が最初に乗り込みました。私は英語の分かるスチュワーデスを捜し出し、先ほど作成した英語を見せて確認を求めました。彼女は私が英語が分かると見るや、猛烈なスピードで話し始めました。自慢ではありませんが、私の英語は、所詮受験英語ですので、ヒアリングは得意ではありません。勘と適当に類推して私が理解したことはこういうことでした。

「あいにく今日は、ビジネスクラスは満員です。エコノミーの一番入り口に近い席を用意するのでそこまで行ってほしい」。「本当に今日は満員なの?」と聞きますと「満員です」と答えます。仕方ありません。全員が自分の席に着いた後で、私は一行の男性に入り口から両手両足を抱えられて、ビジネスクラスの通路をエッチラオッチラ運ばれてその席に座ることができました。まぁその格好は言うなれば、会場からガードマンに運び出される失神した女性ファンに近かったかも知れません。私はまた我が一行と離れ、中国人の人たちのど真ん中に運ばれたのです。

 席に着いた時に、隣の男性からどういう訳か握手を求められました。私も少し人見知りするところがあり、飛行機が水平飛行に移っても、うまく話しかけられません。それにそういうふうに無理矢理話しかけなくても、とにかく私の場合はどうしてもそういう関わりを現地の人にお願いしてきましたから、もはやそれだけでも結構な交流をしています。機内ではひたすらおとなしくしていました。

 食事も配られたのですが、あいにく朝6時におなかに入っていますし、もし急に下痢でもしたらまた周辺の中国人に必死でお願いしないといけないかも知れません。それは、なったはなったで、それなりに大きな意味があるのでしょうが、トイレの介助をしてもらうために訪中したわけではありませんので、今回はひたすらおとなしくするというコンセプトで臨みました。

 機内ではジュースも出されましたが、なんとか苦労すると1人でコップを口まで持っていけましたのでストローを頼むことなく、飲むことができました。したがって「あーーんして」ということもコーヒーをストローで飲むこともなく、ただただおとなしく座り続けました。といって特に元気がなくなったわけでも何でもありません。おとなしくしていただけです。
 
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