第1章 出発までのあれやこれや (2/67) 

仏こころが目を覚ます?

 我が家は両親と私の3人家族で、父も私ほどではありませんが障害があります。 おまけに高齢になりいろいろな老化が来ています。そうなると父と私、2人分の介護が母親1人の肩にかかってきます。 特に私の場合は、 週2回の入浴サービスと週1回の家事援助をホームヘルパーに依頼する以外のすべての仕事が、母親にかかってきます。

 家族での介護というのはまるで戦争のような部分があります。
「これでいいですか?」「はい、ありがとうございます」
というのをホームヘルパー式の介護というならば
もうちょっとちゃんとして!」「自分でやったらどう?
というのが母と息子の介護なのです。

 車イスになり、職を辞して1日家にいるようになると、母を呼ぶ回数ははますます増えてきます。 さらに私の体も年と共に衰えてきます。そうなると実にちょっとしたことで母が必要になります。 1日の大半を車イスの上で生活をしていると言いましたが、排尿、排便の介助は当然として、ものを取ってもらったり、机の引き出しを開けてもらったりと、およそ人が両手でする作業の大半を母にしてもらいます。さらには何かの拍子に前のめりになるともう元の姿勢に戻れません。 机の上に顔をつけたまま、、耳が恐ろしく遠い母を隣の家の壁がひび割れるほど大声で呼ばないといけません。 1日最低20回は母を呼びます

 まるで鬼監督のごとく怒りをぶつける息子からの攻撃に耐え、50年以上連れ添った旦那からも用事を言いつけられ、どなられ、時々涙ぐむ母親なのです。そこまでのことが分かっていて、なぜもっと優しくなれないのかと言われると、私としてはまったくもって一切の言い訳ができません。

 しかし、「あぁ……申し訳ないなぁ」という反省というか後悔の念がふと沸くときがあります。
墓に布団は着せられず解説
といいます。せめて生きている間に少しは親孝行らしいことをしないといけないなぁなどということがふと頭をよぎります。

 そういう下地があったある日、朗読ボランティアをしている私は、原稿を読んでいるさなかに亀岡市が訪中団を募集していることを知りました。
そこで仏心が「おはようさん」と目を覚ましました。

 母親にさりげなく聞いてみます。
「いや……連れてってくれるならどこでもええよ」という熱があるのかないのか分からないような返事です。 これではお金もいるのに、面白くありません。息子は母親を試します。
 「4ヶ月前に腰折ったしなぁ……」
  「いや、行くころには腰も大丈夫やと思うけど」

 そうか、敵は……いや母は乗り気です。そういえば母はいまだ飛行機というものを知らないのです。 仏心がパジャマを脱ぎます。市役所に問い合わせの電話です。
「車イスなんですが――おまけに付き添いは73歳の高齢で――」

  民間の旅行会社ですと、普通、健康診断書とおうかがい書というものがハードルとしてあります。 しかし、対応した市の職員はいかなる理由か「はい、受けさせていただきます」という返事です。 もしこのとき、職員が「では健康診断書と――」という対応をしていたなら、この旅行記は生まれなかったことと思います。もうこのころになると仏心は元気一杯です。

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