第2章 出発日.中国第1日目 亀岡−>上海−>蘇州 (7/67)
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午後2時前、台風の影響で人けのないターミナルにバスが横付けになりました。
いよいよ私も降りる番です。強風の中、足と両肩を持ってもらってバスから下車すると、車イスにそのままドスンと下ろしてもらいました。みんな大きな車付きの旅行かばんを引きずっています。
我が家は私のひざの上に紙袋1つと車イスの後ろに荷物を1つぶら下げ、母が背中に小さなランリュックと至って軽装です。
建物の中に入ってまもなく午後3時40分発のJAL793便上海行きは5時40分に延期になっていることを電光掲示板で知りました。たった2時間程度です。そうです! たった2時間なのですから。そのときはみんなそう思ったのです。まさか出発が夜になるとは知るよしもありませんでした。
関空の中には階段がありませんでした。いつも階段で泣いている車イスの私にはありがたい建物なのですが、このことは本当に障害者のためなのでしょうか?
たぶん答えは「ノー」だろうと思います。多くの旅行客は重い荷物を車付きの旅行かばんに入れて引っ張っています。
つまり私と同じく車輪を利用しているのです。ですから階段があると皆が困るのです。
障害者にとって利用しやすい建物は、健常者にとっても利用しやすい建物である良い例が関空なのです。
いつの間にか出発時間が午後6時10分になっていました。
さらに30分出発時間が遅れることになります。
「まぁ機内食がちょうど夕食になるなぁ」とこのときのんびり考えていました。出国手続きまで待合室で全員で待機です。
5時を回ってもまだ移動できません。出国検査官とJALが協議しているというのです。
いったん出国してしまって飛行機が飛ばない場合の再入国手続きの話し合いであると添乗員から説明があります。
母はそのことの意味さえ分からず、ふらっと近くの売店を見に行ってしまいました。
5時15分ころ、添乗員から移動の連絡です。
いよいよ出発!。
ところが、母親が戻ってきていません。申し訳ないことに見送りに来た市の職員さんに探しに行ってもらい、事なきを得ました。
息子がみんなの世話になるというのに、母までみんなの迷惑になることは 私の一番恐れていることでした。
皆の面前ではありましたが、多少厳しく言わなくてはなりませんでした。
ところで、出国検査は一人一人並んでパスポートを見せなければなりません。これが結構時間がかかります。
1メートル以上近づかないようにと線が引いてある外側で待機しないといけません。
出国検査官がめざとく車イスの私を見つけ、一番左の検査所に行くように指示します。
なんだか検査をされるというのはあまりいい気持ちではありません。
おまけに担当の検査官は出がけに奥さんとけんかでもしてきたのか無愛想で、むっつりと黙ってパスポートを調べています。検査官は、調べ終わると私にパスポートを手渡し、私の顔を見ることなくぼそっとこう言いました。
「良い旅行を・・・」
そうなのです! まったくすばらしい旅行になるとはこのときには分かりませんでした。
しかし、文字通りすばらしい旅行になったのです。
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