第3章 中国第2日目 蘇州 (13/67)

パレード

  今日は実は訪中団の主目的である公式行事がぎっしり詰まっているのです。食事を終わるとすぐに1階のロビーに集合です。私はまた例の階段を数名の男性の御輿(みこし)で降り、1階に到着しました。この後、蘇州市のシルク祭りのパレード見学の後、市長の演説を拝聴する予定です。

 まずバスに乗り込みます。このあたりで一番簡単に車イスからバスに乗り込む方法が分かりました。まずどうするかというと車イスから私をバスのステップの1段目に後ろ向きに座らせ、ステップの上の方に待機した男性が私の脇を持ち、バスの外側の男性が私の足を持ち、そのまま抱え上げて、最前列の席に座らすことになりました。このやり方が一番負担のないやり方ということで、私は「蘇州方式」とよぶことにしましたが、その後の介護の基本となりました。

 運のいいことに、運転手が体操選手のような筋骨隆々の人で、実に軽々と車イスをバスの車内に持ち込んでくれました。介護にとって必要な条件の1つに体力があります。この体力がないと、介護されるほうも気軽にお願いできないのです。また介護にはある程度の余裕がないと危ないのです。常に100%近い力を出さないと介護できない人には、なかなか余裕というものがありません。その意味では男性に介護をお願いするということは、気が楽な一面があるのです。

 ホテルから外国人客だけを乗せたバスが何台も数珠つなぎになって一斉にパレードを見学に出発します。しばらく走っていて奇妙なことに気が付きました。我々のバスが信号で1度も止まることがないのです。よく見ると、交差する道路には警官が立ち、その前には何10台もの自転車が我々が行き過ぎるのを待っています。それになんとパトカーが先導しているのです。

パトカー先導!

 私たちは要人扱いなのです。ホテルからパレード会場まで2、3キロあったでしょうか。一般道をノンストップで走るということは、救急車に乗せられる以外できない経験でしたので、我が訪中団の一行はいたく感激したのです。やっぱり通常の観光で中国に来たのではなく、なんと言っても訪中団で来たことのありがたさを感じた一瞬でした。我々はVIPだったのです!

 バスがパレード会場に着くと、もはや恒例となった私の「積み下ろし」があります。皆が降り終わって、後部座席付近から若い男性がさりげなく私のそばに来て「降りましょうか?」と声をかけてくれます。もしその都度、私のほうから声をかけてお願いしないとこの「積み下ろし」ができないことであったなら、きっとバスから降りるというこの作業は段々と私の中で負担になっていったことでしょう。

 いまから振り返ると、実にさりげなくだれかが私のそばに寄り、一声かけてくれました。私は中国旅行中ただの1度も「お願いします」と言うことなくバスから降りることができたのです。こういうさりげない配慮はうれしいものです。

 訪中団の団長と私と母とだけは、パレードが一番よく見える道路の端にずらっと並べられた白い椅子に座ることとなりました。並べられた椅子の数は数百になったでしょうか、その最前列に座りました。パレードは道路すべてを使い、左から右に向かって進みます。実に趣向の凝らしたパレードです。

 ご存じのように昨日薄暗闇の中で1人の女性のチャイナドレスを見ただけで衝撃を受けた私の前に、将棋かチェスの駒のように等間隔で、しかも集団でこのチャイナドレスを着た中国美人が登場したのですから、一体私がどういうような状態になったかお分かりでしょうか?

 狂喜乱舞、鼻水たらたら、目はうつろ状態で手に持っていたカメラでシャッターを切りまくったのですが、よっぽど動転していたのでしょうか、後で現像してみるとほとんど写っていませんでした。不幸にしてそのときだけフィルムが空回りしていたようです。いや、空回りしていたのは私のほうかも知れません。

 私の座っている最前列には日本からの一群、その後ろにはドイツ語を話す国際色豊かな観客で、行列が我々の前を通ると、拍手が一斉に起きました。エンジン付きハンググライダーが我々の上空を通り過ぎ、地上ではチャイナドレスのオネーサンを中心に延々とパレードが続きます。

 パレードは数十名を一単位として、適当な間隔で進むのですが、この間隔を調整するのが私たちのすぐ前にいた軍服姿の女性でした。彼女は手に長い指揮棒のような物を持ち、パレードの全権限が彼女の元に集中しているようでした。ある一団が彼女の指揮を無視して前に進み出した時は、その長い棒を地面に数回叩きつけ、中国語で激しく怒りまくっていました。私は日本ではめったに見ない女性の激しい怒り方を見て、やはり日本とは違うのだということを唖然としながら感じました。それ以外は整然とパレードは進行しました。

 私たち一行は昼に予定されている蘇州市の歓迎レセプションに出席するべく、そのパレード会場を早々に後にしました。行きはバスの先頭ではありませんでしたが、帰りは私たちのバスが先頭となり、中国旅行中、常にバスの最前列に座っていた私には、先導するパトカーがよく見えました。パトカーは赤信号で止まっている車両をクラクションで追い散らかします。このあたりは共産圏でないとできないことでしょう。そんなわけでアッという間に朝出発したホテルに戻ることができました。

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