第5章 中国第4日目 昆明 (40/67)

ナニがついにやって来た

   テラスでのんびりしていたら、ついにXデーがやって来ました。おなかがぐーーと痛くなってきました。といって今から部屋まで引き返すほど時間はありません。とりあえずフロントに行くことにしました。

 フロントで、英語の分かる中国従業員に「なに」が出そうだと説明しているさなか、ぐーーと激痛が来ました。こうなるともう時間がありません。急いでトイレの場所を聞くと、運のいいことにフロントすぐ横にトイレがありました。とりあえず入り口は車イスで入れましたが、トイレのドアの幅が狭く、車イスでは便座に座れません。母はまだ腰を痛めており、とても私を抱え上げ、トイレの便座まで座らすことは不可能です。

 進退窮まった時、アメリカ人と思われる男性がふらーとトイレにやって来ました。私がトイレの前で、苦労しているのを見て取ったのか、手を貸してくれました。しかし、何分思うように言葉が通じません。私を車イスから立たし、便座に腰掛けようとさせましたが、中が狭いため、なかなかうまく中に入れません。とうとうそのアメリカ人は私を1人で抱きかかえ上げ、便座の上に持っていきました。

 それからは少しお互いに「ああして、こうして」と会話をして、母も手伝って何とかズボン、パンツを下ろして、排便できました。その間アメリカ人の男性には少し外で待っていてもらうようにお願いしました。連日の中国料理でまるで水のような便が出ます。しばらくしてなんとか苦境を脱した私は、母にそのアメリカ人を呼んでくるように頼みました。

 そのアメリカ人も少し考えたのか、今度は、中国人の従業員を1人呼んで、2人がかりで、私を便座から車イスまで移動してくれました。そのアメリカ人も必死で私の介助をしてくれたのはよーく分かります。まったく大変でした。車イスに戻った後、そのアメリカ人は私をチラッと見て、「ふっー」と溜息をつきました。

 もし彼が
今後一切中国に来なくなったとしたら、その責任の一端は私にあるかも知れません。どういうふうにお礼を言ったらいいのか貧しい語学力では表現できませんでしたが、とりあえず気持ちを込めて母とお辞儀をしたのですが、通じたでしょうか?

 そのことがとんでもない1日の幕開けでしたが、それからわずか30分後、またおなかに激痛が来ました。何分下痢をしていますから、1度に出るということがなく、波状的に腹痛がします。当たり前ですが、さっきのアメリカ人はいませんでしたし、もし頼んだりしたら中指を立てて「ファックユー」くらい言ったかも知れません。

 人の善意というのはあまり当てにすべきではないのだと思います。進退窮まるまで自分で道を切り開く必要があるのでしょう。そう思った私は、フロントに引き返し、今度は比較的冷静に英語で「なにがしたいので、男性従業員2名に介助をお願いしたい」と申し出ました。

 程なくこれから先、いかなる苦労が待ち受けているかを知らない中国人従業員2名が便所にやって来ました。いつもそうなのですが、排便の介助というのは、力だけあっても難しいのです。力任せで介助できるものではありません。介助するものとされるものとの息が合わないとなかなかうまくいきません。このあたりで一番息の合うのは母なのですが、車イスから洋式トイレに移動しての排便はもう母の体力では不可能ですが、今回はそれをしなくてはいけません。

 しかし、このあたりの状況になると私は信じられないことに
うきうきしていたのです。実はさっきのアメリカ人との関わり合いのときから、人に介護をお願いすることの大きな意味が分かりかけてきました。介護というのは介護される側が一方的に介護する側に、負担や精神的ストレスを与えるというものではないのです。

 うまく言葉で表現できませんが、非常に密度の濃い触れ合いを必要とします。どうしても息を合わさないとできない共同作業なのです。私はされる側で、相手はする側というのは間違いないのですが、介護という仕事をすることに関しては、私も平等に参加しているのです。排便1つにしても、それは1つの仕事であり、私と他人とでやり遂げる協同作品のように思います。

 たいていの場合、その共同作業のパートナーは母であったり、ヘルパーさんであったりとメンバーがほぼ固定されていますが、今回のような場合は、その場その場でパートナーを選んで行わなくてはなりませんが、しだいにそのことを楽しむようになってきたのです。

 とは言っても先ほどのアメリカ人もそうですが、言葉が思うように通じません。そうなると相手がなんとか考え出した介護方法をこちらが理解して、その手順で介護を受けないといけませんでしたが、そのこともまた楽しいことでした。お願いした現地の中国従業員の場合は、ほとんど言葉が通じません。そうなると彼ら2人が相談した介護方法をこちらがなんとか理解して、相手のペースで介護を受ける必要があります。

 意地が悪いとお感じの方がおられるかも知れませんが、私はその中国人が悩み、2人で相談している様を見て、なんとなく楽しくなって来ました。
「さぁこれから共同作業が始まるのだ!」ということになり、わくわくしてきたのです。

 結局はるかに能率の悪いやり方ではありましたが、なんとか私を便座に座らせることにも成功し、その反対もできました。共産圏でのチップというのも必要ないのかどうか分かりませんでしたが、私の場合は明らかに普段の業務内容から離れた作業をお願いしたのですからということで、この2人の従業員さんにはなにがしかのチップを渡しました。それ以降この2人が車イスの人を見かけた時に、さりげなく姿を消すようになったかどうかまでは分かりません。

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